平成12年8月28日
エコーキッズ主催講演会(講師:内山登紀夫)の講演内容の一部を転載させていただきました
エコーキッズのご厚意に感謝いたします
自閉症について
まず、自閉症スペクトラムという言い方が多分まだそんなに馴染みがないと思いますが、スペクトラムというのは連続体という意味なんですね。皆さんが普段いちばん目にする連続体は多分、虹だと思います。そんなにしょっちゅう見ることは出来ないけれど、 虹というのは、微妙に色が変わってきますが基本的には連続している。 そういうイメージを抱いていただければと思います。 虹は赤から紫に変わっていきますが、間がそんなにはっきりしないでちょっとずつ変わっていく。自閉症という考え方もスペクトラムという考え方でいくと重い自閉症、軽い自閉症いろいろあるということです。
ちょうどテレビで、2つとも今週最終回をむかえましたが皆さん観ていましたか?ともさかりえと藤井フミヤの自閉症の番組がありました。ともさかりえの方はかなり高機能の自閉症で、最終的にはあの精神科医と結婚するか、したかなんかですよね。藤井フミヤの方は、もうちょっと低く中機能ぐらいで、そんなに高くはない。けれど言葉はしゃべれる。藤井フミヤは中機能で、多分ともさかりえは高機能だと思いますが中にはもっと重い、あるいはもう少し重い自閉症の子がいます。例えば「学校3」というのがありましたが、あれに出てくるトミー君はもうちょっと低いほうに近い中機能です。もっと重くて言葉のない自閉症の人もいます。映画でいうと「ギルバート・グレープ」というのがありますけれど、有名なレオナルド・ディカプリオが子供の時に自閉症の役をやった映画でそれはもう少し重たいです。そのようにいろいろな自閉症の人がいてそれぞれ、軽いほうから重い人、言葉のある人からない人、こだわりの強い人から弱い人というようにいろいろなタイプの自閉症があるということです。
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今、高機能自閉症というのはかなり認知されてきていますが、一昔前はこのカナータイプの自閉症というのが自閉症だったわけです。カナーというのは人の名前です。1943年というかなり昔にレオ・カナーというアメリカの精神学者が自閉症の定義を発表しました。それから医学の上では自閉症の歴史が始まったわけです。 カナータイプの自閉症とはどういう人かというとまず言葉がない。言葉がないか、あってもコミュニケーションのために言葉を利用しない。しかも重度の情緒的接触の欠如がある。よく心がふれあいにくいとか言いますけれど、なかなか一緒に遊ぼうとしてくれない。例えば、抱っこしてもそっくり返ったり、あやしても笑わなかったりということがあります。 それに、物へのとらわれが強い。例えば、一緒に遊んでいてもおもちゃでばかり遊びます。子供はだいたい子供同士で遊ぶのに、人よりも物に関心があって、保母さんやお母さんが「遊ぼう。」と言っても知らん顔をしてひとり遊びにふけっています。物を器用に扱うけど機能は考えていない。例えば、車のおもちゃなどを上手に分解したりするけど車のおもちゃらしくは遊ばないといったことがあります。 反復的なルーティン、なにかパターンが決まっています。例えば、朝起きると必ずドアを3回ノックする決まりがあるとかですね。あの藤井フミヤだと、ベッドは窓際にないといけないということがありました。窓際にないと怒っちゃう。あのくるくる回る床屋の看板をそ部屋に置いておかないといけないという決まりもありました。 変化への抵抗―これはベッドの例もそうです。カナーが最初に挙げていたのは、花瓶の位置が変わると怒る・物の場所が変わると怒るという子のことです。ぼくらは花瓶の位置などは、普段ほとんど意識していないです。だけど、彼等はちょっと位置が変わるとすぐ分かって元に戻そうとするような突出した能力があります。このへんが、自閉症と知的障害が違うとずっといわれてきたことの最初の特徴です。 このように、自閉症の子は特定の能力が非常に優れています。例えば映画でいうと『レインマン』、ラスベガスのカジノでトランプをぱっと見たら全部覚えてすごく勝つとか、あるいはマッチ箱を落とすと、その瞬間に二百何十何本と数えてしまうといったことがあります。ともさかりえですと気象学で、気象予報士の試験を受けるのすが、そういうことに対して非常に関心が強くてよく覚えます。
いろんな能力の中では記憶力が強いことが多いです。例えば他人の誕生日を全部覚えているというような人もいます。僕の患者さんでお寺の息子さんですけれど、檀家さんの命日を全部覚えている人もいます。非常に便利ですけどね。お母さんによっては、自閉症のお子さんをメモ帳の代わりのように使っているというか、使えている人もいます。「この前病院に行ったのいつだった?」と、お母さんが言うと、子供が「何月何日だよ。」とか、「診察券の番号何番だっけ?」と言うと「何番だよ。」 全部覚えています。それで、「うちの子便利なんですよ。」と、おっしゃる。
確かにそうですよね。そういう記憶力は非常に得意なのです。
視覚運動的な能力も優れていることがあり、えば迷路などすぐ出来て、ブロックの組み合わせも早く出来たりします。
こういう子達は、しゃべらないですから一見重い知的な障害があるように見えるのですが、非常に魅力的で知的な外見をしていたりします。つまり頭の良さそうな顔をしている、そんなふうにカナーは論文の中で述べています。
もともと昔は、このカナーのいう自閉症が自閉症だったわけです。ところで、こういった基準のように、全然ほかの子と遊ぼうとしない、言葉があってもコミュニケーションのために使わない、オウム返しばかり言っている。あるいは独り言ばかり言う。あの藤井フミヤも「グルンパの幼稚園」とか「いらない部品はありません」とか、言っていますよね。あの「いらない部品はありません」というのは、なにか非常に思わせぶりな何か裏の意味があるような発言ですが、ああいうことを言う人は、ほんとの自閉症ではねそんなにいないです。それはともかく言葉をコミュニケーションに使わない、こういう人たちが当時は自閉症といわれたわけです。
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カナーが、自閉症に関する論文を最初に発表したのは1943年なのですが、当時は自閉症の子は、先程も言いましたようにほんとは頭がいいのだと思われていました。 記憶力が優れている ≠ニか 魅力的で素敵な外観・外見をしている °ノ端な場合、オウム返しがあるとか他の子と遊ばないとかいうことがあっても、 賢そうじゃない顔をしていると自閉症じゃない ≠ニ、本当にそういうことが真面目に言われてたんです。僕が、昔いた病院は非常に古い病院で、30年も前の検討会の記録なども残っているんですが、今非常に有名な先生方が、もう大学を停年で辞めたような先生達がいろいろ議論して、 この子はこだわりもあるし独り言もあるけど、でも最終的にあんまり賢そうな顔をしてないから自閉症じゃないよ≠ニいった議論が真面目にされていました。それはかなり昔の話しで、1960年代になってくるとこういう子達に知能テストをするとかなり低いということが分かってきました。IQ的には、例えば70以下の知的障害といわれる子達が、3分の2とか5分の4を占めたのです。その率がかなり高いということで、70年代から90年代の初めぐらいまでは自閉症というのは知的な遅れがある子が中心で、自閉症の子というのは重度の知恵遅れがあったり知的には重い障害があると言われるようになりました。ですからその頃なら、例えば藤井フミヤは自閉症の映画の対象になっても、ともさかりえは自閉症のテレビドラマのヒロインにはなれなかったと思います。ともさかりえみたいに気象予報士になろうとするような子を自閉症というようなことは、昔は、つい10年ぐらい前まではあまりなかったと思います。これらのことが、カナータイプの子が自閉症だったということの意味といえます。
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最近、スペクトラムという考え方になってきて、今日のテーマにもあるような高機能自閉症という概念が広まってきました。それのひとつの要因は、非常に古い論文ですがカナーの出した論文の翌年、アスペルガーという人が書いた自閉症に関する論文です。アスペルガーはオーストリアの学者で、ドイツ語でこれを書いたのですが、当時は第2次世界大戦中ですから世界的に見てあまりかえりみられることがありませんでした。特に英語圏では忘れられていたといえなくもありません。が、最近1980年代になってアスペルガーの論文を再評価する動きが高まってきました。そして現在では、アスペルガー症候群とも言うのですがアスペルガーが報告したようなケースも自閉症の範疇に含めようというように概念が広がってきています。アスペルガーの言った自閉症とはどういう自閉症か?まず社会的に奇妙・不適切であるとアスペルガー自身が言っています。要するに、カナーの場合は情緒的接触が欠如しているということで心が通いにくいということでしたが、アスペルガーの場合、心が通いにくいというより非常に不適切あるいは奇妙な行動、常識がないような行動をとるということでした。例えばいろいろな例がありますが、ウイングという先生が挙げているのはある女の子のことです。生理の日になってくると、自分で「今日は生理日だ 」ということをみんなに言うのです。なぜかというと、英語では挨拶の時How are you?≠ニ必ず聞きます。普通I am fine thank you.≠ニ、答えてそれで話はパターン的に行くわけですが、How are you?≠ニ聞かれて、生理の日にはI am fine.≠ニは、言いたくないのですね。だからI am not fine.≠ニ言って、「私は生理日だ」と言ってしまう。 How are you? ≠ニ聞くとそう言ってしまうので回りの人はビックリしてしまいます。そんなこと最初から言うのって本来はおかしいし、恥ずかしいわけです。
最近の例だと、ある中学生の女の子がたまたま下痢して、通学途中でうんちをもらしてしまったのです。下痢していたんだからそれはしょうがないわけで、自分でコンビニに行って新しい下着を買い、コンビニの人と交渉してトイレも使わせてもらってきちんと自分で拭いてきれいにして出ていったのです。そこまではある意味非常に適切な行動です。でもそういうことしていたので遅刻してしまいました。遅刻して自分の教室に入っていったらホームルームが終りかけていて、先生が「なんで遅刻したの?」と聞きました。全部正直に答えたのですね。「私はうんちをしてもらしちゃってべとべとになったので、コンビニに行って替えてきました。」そういうことをそこまで言う必要はないわけで、周りもびっくりしてしまいました。そういうことは、普通僕等言いませんが、そのように正直に言ってしまうということは、社会的にはある意味では奇妙な反応です。あるいは未熟と言っていいわけで、そういったことを言ってしまうのでなんかちょっと変わっている人だなあ≠ニ思われてしまうのです。
次に、言葉が非常に回りくどいです。ひとつのことを言うのに非常に難しい言い方をしたり反復的で、同じことを繰り返して言います。いちばん簡単な例だと、よく病院に来た時「今日はどうやってきたの?」と彼等に聞きますと「車で来たよ。」とか「電車で来た。」とか、普通そう答えると思うのですが、アスペルガーのタイプの子は、「何とか駅で降りて、何とか駅の何番線から京浜急行線に乗って横浜駅で降りて横浜駅のB8の出口から出て…」と延々と言います。「何で来たか」と言うだけで1分ぐらいしゃべっていたりします。やはりそれはかなり変な話で、大人の人の中にはからかわれていると思う人がいます。「なんで遅刻したの?」と言われて何だかんだいろいろ言い訳するときに、非常に根掘り葉掘り細かく回りくどく言い過ぎるので「お前からかっているのか?」と怒る先生がいます。そういう気持ちを僕等が持ってしまうのです。
また、同じ話題を繰り返したがります。ともさかりえもテレビだとわからないのですが、多分ああいうタイプの人は、気象学が好きだったら気象学の話をずっと何回もしているのではないか思うのです。
字義どおりの話し方というのも特徴の一つです.物事の裏の意味がとれないでそのとおりに考えてしまうということです。僕もそういう傾向があったのですが、私の記憶で言うと、小学校の時に学校の先生に「授業が終ったらまっすぐ家に帰りなさい。」と言われて、「僕の家はまっすぐでは帰れません。曲がらなきゃ帰れません。」と、手を挙げて真剣に訴えた記憶があります。もう少し重たい子だと、先生から家に電話がかかってきて、「お母さんうちにいる?」と尋ねられると、「お母さんうちにいるよ、じゃあね。」と言ってガチャンと切ってしまったりする、これもひとつの例です。要するに「お母さんうちにいる?」と聞いて、「お母さんうちにいるよ。」と答えて電話を切ったのだから完璧に正しい行動をしたといえなくもありません。だけど僕等が「お母さんうちにいる?」と聞くのは、本当は「お母さん家にいたら出してちょうだい。」という意味です。そういうことが分からない。最近経験したケースは、大学に行っているような非常に知的に高い、それこそ高機能自閉症の子なのですが、学校でプリントが回ってきたのです。最近、宿題の忘れ物が多いとか遅刻が多いとかそういう困った行動をとる人があって、それについての注意、遅刻はやめましょう≠竍忘れ物は注意してください≠ニかいう高校生に言うような注意が書いてあるプリントを持って来て見せてくれたので、「なんかこれ裏があるの?」と僕が聞いたのです。これまで忘れ物が多いとかが問題になっているのかなという思いがあったので、「なんかこれ裏があるの?」と聞いたわけですが、彼はそのプリントを裏返して「裏は何も書いてありません。」と、真剣に答えました。このように、字義どおりにとってしまうというのは、高機能でも中機能でも自閉症の特徴です。テレビの藤井フミヤも、「5階のフロアーを全部掃除してください。」と言われて「すごく大きなビルなのでとても全部は出来ない。」と言いつつ、でも夜中までやってしまったという話しがありましたね。ああいうのも非常に現実にありそうな話しです。
それから、相互的会話になりにくいです。会話がどうしても一方的になってしまいます。
それで、非言語性コミュニケーションも未熟です。コミュニケーションというのは言葉だけでなく、表情やしぐさ、ジェスチャーなどそういう全身でとるものです。例えばテレビの話しをすると、ともさかりえは表情が奇妙です。演技がとてもうまいということですね。前に言ったように、無表情だったり、本当は悲しい話しなんだけど楽しそうに話すというような子もいます。これは、僕の経験ですが、昔ノースカロライナ大学に留学している時にキャンプがありました。キャンプには高機能自閉症の人とボランティアの人と一緒に来るのですが、ある20歳ぐらいの女性が、ボランティアなのか自閉症なのか話していてもどうもよくわからなくて、スタッフの人に聞いたのです。「あの人ボランティアなの?自閉症なの?」と聞いたらそのスタッフの人も新米で分からなかったのです。「ちょっと私も分かんない。」「でもあなたも自閉症ボランティアでなかなか聞きづらいから、もうちょっと様子を見ていましょう。」そういう話しをしているうちにその子が、自分のお母さんが死んだ話しをし出したのです。「お母さんは、去年死にました。癌で死んで,最後はここが痛い痛いって言って死んでいきました。」それを非常にたんたんと話すのです。その時にこの人は、やはり自閉症なのかなあ≠ニ思い後で別のスタッフに聞いたらこの人は自閉症であるということでした。小さい頃の話を聞くと,こだわりがあって物並べをしたりオウム返しがあったり、明らかに自閉なのですね。もう大人になっているのでそういう症状はあまり残っていませんが、ある意味専門家の僕等でも、一見したらどうか、どっちかわからないけれど、このように話し出すと非常に たんたんとお母さんの死の話しをするので、この人は自閉症なのだなと分かるということがあります。このように彼等は、非言語的なコミュニケーションが未熟だったりとかちょっと奇妙だったりします。
併せて、アスペルガーの人は大体不器用です。 手先が不器用で、字など書かせるととっても下手な人がいます。もちろんとってもうまい人もいるのですけど大体は不器用です。
歩き方をみると、その歩く姿が奇妙だったり姿勢が前かがみだったりします。ともさかりえさんもちょっと前かがみで歩いていましたよね。
このようにトータルして常識の欠如がある。例えば初対面の時、自分の生理の話をするなどということもある意味で常識の欠如ですよね。
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こうしてアスペルガーとカナーの報告を重ねると、自閉症スペクトラムということになるわけです。レジメの方にはカテゴリー概念についての絵があると思いますが、昔、まあ昔といっても10年、14・5年前は大体こういうカテゴリー概念が児童精神医学の主流だったのです。でも今でもこういうカテゴリー概念はもちろん生きていて、これが間違いというわけでは無いのです.基本的に自閉症という障害があって、アスペルガー障害という障害がある。ADHDという障害があって、LDという障害があると、これはそれぞれ別だと考えられていたのです。
だけどスペクトラムという概念で考えると、これは別々ではなくてかなり近いのだということになってきます。自閉症連続体というのがあって、ちょっと前後しますが重い方にはカナータイプがあり、軽い方にはアスペルガータイプがあるというように連続するものだということです。このように考えていくと、重い方は言葉がなくてひとり遊びをずっとやっていて、ほかの子と遊ばない。そうするとこの子は自閉症だろうな≠ニすぐ分かるのですが、軽くなってくると非常に分かりづらくなります。
自閉症の概念がだんだん高機能の方に広がってくると、例えばIQ140の自閉症の子とかいるわけです。IQ140というとたいていの場合お父さんお母さんよりもIQが高くて、普通の学校だと多分トップクラスのIQになってしまいます。そういう人たちもやはり障害なのだろうか?≠ニいう疑問が出てくるわけです。現実、このクラスになると結婚生活をしていたり、極端な場合大学の教授をしていたりという人もでてくるわけです。イギリスでは自閉症の概念がだんだん広がってきています。だんだんこういう端っこの人たちも病院に来るようになってきました。
僕が留学していたのは3年前なのですけど、イギリスでも3年前ぐらい前が、いちばんアスペルガーや高機能自閉症の概念が一般に知られるようになってきた時期でした。テレビなどでそれこそアスペルガーの番組とかが流されてポピュラーになってくると、「自分自身がアスペルガーではないか?」という問い合わせがクリニックの方にたくさんかかってくるようになってきました。あんまりそういう電話が多くなってきたのでクリニックでは「アスペルガーかも知れないけど、ちゃんと社会生活をしている人はここではもう診ませんよ。」「あなたは自活しているのだから来なくていいですよ。」と、患者さんが増えすぎるもので、そのように区切っていました。実際に社会生活している人も増えてくるわけです。中には自分の夫がアスペルガー性障害ではないかと、夫が高機能自閉症ではないかという問いあわせが非常に増えてきて3年前にイギリスでは、「自閉症の夫を持つ妻の会」というのが出来ました。普通自閉症というのは、「親の会」ですが、「妻の会」というのが出来たのです。「妻の会」というのはつまり、夫が自閉症・アスペルガーだというわけなのです
が、「妻の会」の発足記念会に行った友人の話を聞くと、「それはわりと先鋭的な会で、その「妻の会」の代表の人は、大体男性の2.3割はアスペルガーだ。それがちゃんと診断されてないのは精神科医だの心理学者だの半分はアスペルガーだからだというふうに言った。」とか言っていましたが、そこまで言うとちょっと極端であんまり賛成できないです。けれども、実際にイギリスでは人口の1パーセント近く0.8パーセントぐらいがこういう自閉症スペクトラムではないか、もちろん端っこのも含めてですね、といわれています。
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さっきのカナーの診断とアスペルガーの診断を2つあげましたけれど、それを組み合わせるとこうなるわけです。社会性の障害があって、コミュニケーションの障害があって、言葉、想像力の障害がある。要するに、友達づきあいが悪
い、非社交的だとか、社会性の問題があり、コミュニケーションの問題があります。オウム返しとか字義どおりにとってしまうや、裏の意味がとれない、反復的になってしまうなど想像力、こだわりがあります。例えばともさかりえなんかは、多分気象学に対するこだわりがあるのだと思います。こだわりというのをうまく使うと非常に有用です。昆虫などにこだわりのある高機能の子は非常に昆虫に詳しくなったりします。天文学にこだわりがあるとか、あるいは地理にこだわりがあったりすると地理のテストはいつも100点だったというようにうまく生かせることも多いのです。こだわりがあって、社会性の問題があって、コミュニケーションの問題があると、自閉症あるいはアスペルガー症候群,さらに二つを一緒にして自閉症スペクトラムというように診断するわけです。
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自閉症スペクトラムの考え方だとひとりの子がADHDでかつLDで自閉症スペクトラムということも実際にはありうると、そういうふうに考えるのですね。自閉症スペクトラム概念の大切さは、その3つの障害が同時にあるような子がいたとして、たまにはいるのですが、どうして自閉症という診断が大切かということに話しを進めていきます。
自閉症というのは人間にとって大事な部分が非常に偏っているわけで、社会性・コミュニケーション・想像力と、その子供の生活の多くを支配してしまう障害なのです。例えば、思考とか会話とか行動とか理解とか対人関係とか、テレビでともさかりえでも藤井フミヤでもぱっと見てやっぱり少し違うな?≠ニ僕等は分かります。藤井フミヤだったらいつまでも何かにかこだわっています。独り言を言っているということで、例えば、どこかに引っ越す時にベッドの位置も変えないと気がすまない。その子供の生活を支配してしまうのですね。例えばLDというのは、計算が出来ないとか字が下手などあるかもしれないけど、不器用だとかね。でも計算が出来なくても困らない部分はたくさんあるわけです。計算が出来ないと困るときもある。学校のテストみたいにね。でもじゃあ学校のテストがなければ普通に友達と遊んだり出来るわけですね。だけど自閉症というのはもっと生活全体を支配してしまうので、LDよりももっとある意味では重い障害です。
自閉症であることが分かると有効な治療教育プログラムの指針が立ちます。どういう方法が有効かいうと、僕等はTEACCHプログラムという方法がいちばん有用だと思っていますが、とにかくそういうプログラムがある。
同じ問題で悩んでいる人が、ひとりではないということが分かる。もうカナータイプの自閉症はほとんど学校で認知されていますよね。さっきのビデオで見た高機能の子達は、あの子達が自閉症の範疇だと思われないことが多いですね。しつけが悪い 性格が悪い≠ネど単純な問題と思われている。お母さん達は、自分の子がなんでこういう行動をするのか∞自分の子がなんでしつけにくいのだろう≠ニ非常に悩んでいます。学校の先生やお医者さんに相談すると、IQや脳波の結果などは大抵の場合正常ですから,「IQも正常だししつけの問題ではないですか?」とか「お母さん神経質すぎるんじゃないですか?」そういったアドバイスを受けることが多い。だけど、その子達の行動というのはすごく偏っていて、親は非常に悩んでいるわけですよね。そういう高機能の子は、「うちの子も同じような行動があります。」といったことで、同じ問題を悩んでいる人がひとりでないことが分かってくる。そこは大事なことですよね。また、必要な社会的援助を得ることの根拠になります。これも非常に大事なことです。実は、自閉症というのは非常に多い障害だろうということが今言われていて、人口の0.8パーセントぐらいいるだろうと思われています。特にイギリスでは、あそこは人口5000万の国ですけど約50万人が自閉症スペクトラムではないかといわれています。そうすると、当然何らかの社会的援助が必要になってくるのですね。その子たちのほとんどが、やはり学校でも社会でもハンディキャップを背負っていてなかなか社会適応できないでいるのです。知的に高いIQの高い自閉症のお子さんでも大学を出るようなお子さんでも大学は出たけど就職が出来ない。何で出来ないかというと、やはり社会性のハンディがあるわけです。そういったことをやはり援助しないといけないと思うのですが、いまの援助システムだと知的障害でないとなかなか援助が受けられないし手帳ももらえない。こういう子達がたまたまIQが70以上取れてしまうと、IQ70以下は一応『愛の手帳』の判定がありますよね。IQ70以上ですと何の社会的援助も受けられない。けれど重い自閉症と同じような社会性・コミュニケーション・想像力に重いハンディを抱えていてそのために社会適応が出来ないということでやはり何らかの援助が受けられるように運動していく必要があると思うのですね。
これらの意味で、自閉症スペクトラムの診断は非常に大事になってくると考えています。
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